1 「北越の小京都加茂」
加茂市は、古くから「北越の小京都」「雪椿のまち加茂」といわれています。
市街地には加茂川が流れ、5万本のユキツバキが咲く群生地として知られる加茂山公園があります。
調べてみると、全国には、「小京都会議」に加盟した京都ゆかりのまちが50を数えます。「小京都」の加盟条件は、次の3つの条件のうち、1つを満たしていることでした。
その1 京都と町並みや景観が似ていること。
その1 京都と歴史的なつながりがあること。
その1 伝統的な産業や芸能があること。
加茂市は3つの条件を全て満たしています。加茂の人々は恵まれた自然的、歴史的景観、培われてきた文化を最大限に生かし、生活を営んでいます。
2 「北越の小京都加茂」の歴史
市内には由緒ある神社や寺院が多くあります。加茂の鎮守社が青海(あおみ)神社で、上条(じようじよう)、狭ロ(せばぐち)の鎮守社が長瀬神社です。両社とも平安時代に書かれた「延喜式神名帳(927年)」にもその名が記されている古い神社です。
平安時代に、加茂の地が京都の賀茂神社の社領となり、青海神社の鎮座地に上賀茂神社と下賀茂神社の祭神が分霊されたことから、「加茂」と呼ばれるようになりました。
戦国時代、加茂地域は上杉氏の支配下にありました。その後、上杉景勝が会津へ国替えをさせられると、七谷は村松藩、その他の大部分は新発田藩領として、江戸時代後期まで支配されることになります。
明治、昭和と合併を重ね、昭和30年1955年)には、現在の加茂市となりました。
3 「北越の小京都加茂」の白然
三方を緑の山に囲まれた加茂のまちを二分する形で、粟ケ岳を水源とする加茂川(延長17,7キロメートル)が流れ、信濃川に注いでいます。
市街地の中を川が流れるという地形は、恵みをもたらすとともに、災害も与えます。過去の洪水の中でも、特に昭和44年(1969年)の大水害は死者9人を出すなど、大きな打撃を与えました。
しかし、その後、約300億円の費用と1300棟もの建物移転により、昭和59年(1984年)3月に河川改修が終了し、水害の心配はなくなりました。川幅は2倍に広がり、中心部の約2キロメートルの間に、ユニークな飾りの親柱がある橋が9本架かっています。
改修によって生まれ変わった加茂川と加茂山は、加茂の人々にとってなくてはならないものです。河川敷を舞台に、いろいろなイベントが行われます。
4月から連休にかけ、県内外から集められた色とりどりの鯉のぼり500匹が春風を受け加茂川を泳ぎます。 毎年、お盆の8月14日には「越後加茂川夏まつり」が開催されます。
秋には、鮭の朔上と採捕を見ることが出来ます。加茂川漁業協同組合によれば孵化場開設は昭和53年(1978年)、当初の遡上数は36尾、平成16年(2004年)には、10,814尾の朔上を記録したとのことです。
4 「北越の小京都加茂」の伝統産業
「桐たんすといえば加茂」、全国シェアの約70%を占めています。この桐たんすがつくられるようになったのは、江戸時代の文化年間(1804年~1817年)のころといわれています。
昭和51年(1976年)には、通商産業大臣から「伝統工芸品」の指定を受けました。
加茂ではたんすだけでなく、伝統木工の屏風、建具の製造も行われています。 |