歴史も古きわが里のまなかに建つは
みなびとが心ひとつにはぐくめる文化の象徴
おお○○校その名こそ我らが誇り |
これは、今は既に閉校してしまったが、私が新任校長としてへき地2級地の学校に勤務したときの校歌である。
学区は、全部で300戸あまり、山々に囲まれた山村であった。地域には、公共施設といえば、学校と公会堂くらいしかなく、お店も酒屋さんとJA の支所しかなかった。したがって、学校行事などは地域の一大イベントで、子どものいる家はもちろん家族みんなで参加し、子どものいない家でもみんな喜んで協力し参加してくれた。運動会などは、村人がみんな学校に集まるので、地域の家はみんな空になるという状況であった。
当時を振り返ってみて、まさに校歌のとおり学校は地域の文化の象徴、シンボルであったなあと、改めて思う。そして、このような状況は、かつてはどこの地域でも似たような状況であった。
いま、地域によって程度に差があるようではあるが、全国的に保護者等からの多種多様な非常識(理不尽)と思える要望等により、その対応に苦慮している学校が増加してきているという。県内の学校でも類似の話を聞く。
全連小の会儀でも、このことに関する現状として、「文書回答の要求」、「事案に対するクレームより対応の仕方に対するクレーム」、「国、マスコミなど、より上へ上への要求」、「裁判をにおわせる」などがあげられた。
こうした中、管理職として、多種多様な要望等に対して大きなトラブルとならないように配慮すること、あるいは、未然に防止しようと対応することは、当然のことながら大切なことである。しかし、「○○にならないように・・・」とあまりにも戦々恐々として教育活動が萎縮してしまっていないだろうか懸念する。
教育諸活動を行うときに子どもたちの安全を保障するということは当然のことであり、必要最低限のことである。充分に計画をし準備をすることが前提ではあるが、様々な体験をさせる機会を奪っていないか。教室の中の学習だけでは得られない価値あるものを見逃していないか。「負のスパイラル」に陥ってしまうことを恐れる。知恵を絞り、対応を工夫することで、子どもたちに感動を与える活動の場がまだ多くあるのではないか、教育課程を工夫できるのではないか。
様々な要求や要望をしてくる保護者の多くは、学校に強く期待をしていることの裏返しであるとも考えられる。そのエネルギーを学校への協力・支援に向けるような、地域を巻き込み地域の信頼をつかむような対応・取組をしていくことが肝要である。校長力を発揮するところである。 |