当校の職員室には、以前から「チームはまうら」の文字が入った職員旗が掲げてある。それは、何事にも一枚岩となって取り組むことを意味している。
文部科学省も、「チーム学校」という構想を打ち出してきた。これから、中央教育審議会での議論が始まる。複雑化・多様化している学校の課題に対応するためには、学校組織全体の総合力を一層高めることが重要であることから、教員とは異なる専門的スタッフを学校に配置し、教員と教員以外の者がそれぞれ専門性を連携して発揮し、1つのチームとして力を発揮することができるようにしようとするものである。
チームと言えば、組織全体ではなく、その中で編成されている、達成すべき目的や目標、そのためのアプローチなどを共有し、補完的なスキルを備えた少人数の集合体を指す場合もある。こちらの方が、一般的か。
私は、校務分掌組織の中にチームを位置付けたことがある。前任校は規模が大きく、機能的に学校運営を進めるための1つの工夫として行った。学校として解決したい課題が生じた時に、その解決に必要な職員でチームを編成し、目的が達成された時点で解散するというものである。メンバーの発想や創意工夫を大いに歓迎するとともに、内容によっては管理職も積極的にかかわった。
例えば、体育館が耐震補強工事で使用できなくなった時、音楽会検討チームを編成した。すでに児童数増で、全校が保護者と共に体育館で音楽会を開くのには限界がきていた。チームの結論は、会場をりゅうとぴあ新潟市民芸術文化会館の大ホールに変更するというものだった。午前中であれば、比
較的安い料金で使用できる。ゼロからの計画づくりであったが、「子どもたちに感動を」の思いで様々な困難を乗り越え、実現にたどりつけた。手応えは十分であった。
文部科学省の「チーム学校」は、学校を1つのチームとして学校の教育力を最大化させようという構想であるが、世界一多忙とされる日本の教員の勤務状況を改善し、授業に専念できる環境を整備するための戦略でもある。中教審の審議内容はもちろんのこと、厳しい財政状況の中で、学校の教職員構造の転換を図るための定数改善がどのように進められていくのか、今後の動きを大いに注目したい。ちなみに、「チーム学校」構想のスタッフには、教員の他に、スクールソーシャルワーカーやスクールカウンセラー、看護師、学習サポーター、部活動の指導者、理科の実験補助スタッフなどが考えられている。
歴史に残るチームがある。第2次世界大戦時のイギリスの暗号解読チームだ。絶対に破れないと言われていたドイツの暗号を解読した。チームには、言語学、コンピュータ、数学、統計学、文学の専門家に加え、チェスやパズルの愛好者もいたそうだ。異質な人を集めたことが成功の要因と言われている。
グループとチームは、どこが違うか。チームからは使命感や連帯感、情熱が生まれる。取り組み方もクリエイティブだ。人が集まっているだけではチームにはならない。今後、職員一人一人に光を当て、束ね、生かしていく校長のリーダーシップが一層求められてくる。学校経営が、ますます面白くなってきた。 |