1 2回の地震を経験して
中越地震、中越沖地震、いずれも教頭として、被災地の学校に勤務していた。
中越地震の際は、土曜日の夕方、自宅で大きな揺れを感じ、ニュースで勤務地が被災したことを知った。学校へ向かって出発する直前に防災電話による教育長からの連絡を受けた。「子どもたち全員の安否確認はすべて終わった。全員無事だ。周りの状況は、全く分からない。夜、動くのは危険だ。明朝、明るくなってから向かいなさいことの教育長の言葉。翌早朝、校長と共に、学校へ向かった。段差だらけの道路を切り抜けながらやっと学校にたどり着いた時は、もう日が暮れていた。子どもたちの無事な顔を見た時、あらためて教育長、地域の方々に感謝した。
中越沖地震の時も、「海の日」の祝日で自宅にいた。すぐ駆けつけたが、米山大橋が通行止めで渡れず、引き返して、松代に上がり、柏崎に下りていった。学校の石の門が倒れ、玄関ホールに置いていた自慢の大水槽が三つともすべて壊れ、ガラスと水と魚が散乱していた。「もし、授業日で、子どもたちがそこにいたら。」と考えたら背筋が凍る思いをした。体育館に避難所が開設され、そのまま、しばらく学校へ泊まり込みの生活となった。
2 大切にしたい「連携」と「想像力」
この二つの経験から、防災教育において、校長として大切にしたいことがある。
一つは、地域コミュニティとの連携である。校長、教頭が学校にたどり着けない中で、安否確認をし、子どもたちを守ってくれたのは、地元に住んでいた職員と教育長を中心とした地域の人々であった。当校では、昨年度、地域住民と共に市防災一斉訓練を実施した。この取組をさらに発展させ、来年度のコミュニティ・スクールの立ち上げにおいては、地域と共に実践する防災教育を提案していきたいと考えている。
もう一つは、災害時を想定した想像力である。玄関ホールに大きな水槽を置いていることについて、被災前は、私を含め、誰もその危険を想像できなかった。日常の中に危険を予想するその想像力が、職員にも児童にも重要であることを被災をとおして痛感させられた。防災という視点で想像力を大切にした防災教育を進めていきたい。
現在、「新潟県防災教育プログラム」を基に当校の防災教育を進めている。自校化の取組において、震災の経験から学んだことを生かしていきたいと考えている。 |