「グラッ、グラッ、グラーッ。」
平成16 年10 月23 日、中越地方で震度7 の地震が発生する。四郎丸小学校では、教室棟にクロス状のせん断ひび割れが生じ危険校舎と診断される。授業の再開にあたっては、3年生以上が他校での分散学習を行い、厳冬期にはプレハブ校舎で学校生活を送ることとなる。学校の再開にあたっては、全国から心温まる募金と多くのボランティアから支援を受けた経緯がある。
1 被災地訪問で惨状を目の当たりにして
この大震災では、赤城児童会がすぐ義援金の募集と節電を呼びかける。卒業式の当日も校門の前で募金活動をする6 年生の姿があった。春休みにメッセージと義援金を同名の仙台市立四郎丸小学校へ送ると、やがて仙台から感謝のメッセージが届く。子どもたちは「被災地の様子を知りたい、ボランティアをしたい」という想いがふくらみ、秋休みに宮城県石巻市、名取市閖上への被災地訪問と仙台市立四郎丸小学校との交流が実現する。
いつもは明るく元気な子どもたちは、津波に呑み込まれた町並みや火災で廃墟になった門脇小学校、グラウンドに横たう漁船など、あまりにも悲惨な光景を目の当たりにする。
長浜海岸でのボランティア活動では、黙々とごみ拾いに汗を流す子どもの姿があった。
2 子どもたちが見た東日本大震災
この体験をみんなに伝えたい。その想いから文化祭で、見たまま、感じたままを全校児童や保護者に伝える。地域の人や市民には、中央図書館を会場に展示会を行う。各自がまとめた新聞や震災の惨状が写ったパネル、そして被災地で感じたこと、考えたことを直接、来場者に語りかける。震災から1 年、3 月11 日には、中越地震の記録や校舎の惨状、被災地訪問の記録、子どもたちがまとめた新聞などを掲載した「絆つながり」を発刊する。
子どもたちの学びに大勢の人から賞賛の拍手がある。
今回の未曾有の大震災に当たって、校長として心がけたことは、募金や節電という「点」の活動を被災地訪問や同名校との交流という「線」へとつなげ、地域や市民へ発信することで「帯」へと広がり深まりをみせたことである。また、子どもの思いや願をかなえるために、節目節目に子どもたちの後押しができたことである。今年度は、6 年生が石巻市や南三陸町へ被災地訪問へと出発する。この被災地訪問が、四郎丸の教育の大きな柱となるよう育てることが、私の使命と考えている。 |