人が人の心を推し量ることはなかなか難しい。が、その手掛かりとなる言葉に「道心」がある。道心とは「その人の生き方は心に有り、その心は行動にある」という意味である。私たち人間は、職場、学校、地域社会、家庭等のなかで自分の取り組むべき何らかの目標(含白身の生き方等)をもち、その実現に向けて行動を起こしているが、ここでは、その目標の善し悪しをいっているのではない。その人が心に描いたこと(考えていること)を行動に移していることが要諦なのであり、その行動を見取ることで人の心の一面を知る手掛かりともなる。その行動の一例ではあるが、現況の子どもの姿から考えてみたい。
「今、子どもたちの心に何が起こっているのか」。マスコミや多くの人が考えていることについて一般論ではあるが、次のように整理できる。「現代は、家庭の教育力が低下し、躾がなされていないしつけために、わがままな子どもが増えている。物質的にも恵まれすぎ、甘やかされているため、ひ弱な子どもが増えている。そのために、いじめ、不登校、引きこもり、心の病、非行、少年犯罪が増えている…。」逆に考えてみたい。本当に恵まれた子どもは、人も大切にできるはずである。人を大切にできない子どもがいるとすれば、それは大抵、その子自身が大切にされた経験がないからではないか。
躾の大切さはそのとおりであるが、親の過剰な指示や叱責による躾、暴力による躾が背景にかかわっていることはないだろうか。甘えることのできた子どもは、安心感をもち、これが意欲の基になるとも捉えられる。むしろ甘えられなかったために心身の不調をきたしてしまうことが多いのではないかと。
こうした行動を示す子どもの心を表す言葉がある。「おれなんか、いないほうがいいんだ」「どうせ、私は弱くて不器用で、何のとりえもない」。学校、家庭等で周囲から投げかけられていたと思われる言動の結果である。自己評価の低さが垣間見える。自己評価は、自信の有無という以前の問題であり、生きている価値がある、存在価値がある、自分は大切な存在だ、必要とされているという感覚である。自己評価には二段階ある。第1段階は存在に対する安心(周囲から自分の存在を喜んでくれることから育まれる感覚)であり、2段階目は、能力に対する自身(周囲から褒められることによって育まれる感覚)である。各段階を大切に、子どもの自己評価を高めることが、子ども自身の目標や生き方(心)を支えていく一歩であると考える。当校で現在取り組んでいる重要な柱である。 |