生徒指導の基本は、学校職員、そして子どもの周囲の大人による率先垂範である、と私は考えている。自分たちがしないこと、できないことを「言葉で指導」するのは、子どもには理不尽と映るだけであろう。
○まず危機意識をもつことから
当校で、初めて子どもたちを校門で迎えた二年前。「おはようございます」張り切って挨拶する私に、ちらっと視線を合わせる子はまだしも、大部分の子は我関せずとばかりに通り過ぎていく。ショックだった。まだ面識がないのだからやむを得ぬ、と自分に言い聞かせた。だが、翌週になっても挨拶を返すのは高学年の一部のみ。中には私の前を子ども同士で会話しながら通り過ぎる姿も見られた。さながら木石になった気分。職員に確認すると、以前から挨拶をしない子が多い、とのこと。生徒指導の基本を「挨拶できる子の育成」と考える私は、これはまずい、と感じた。
○当たり前に挨拶し合う風土づくりに向けた取組
あいさつ運動は毎年していると聞き、この問題の根深さを予感した。保護者会、地域懇談会等で確認したところ、やはり「大人たちも、あまりしませんね」とのこと。これらを受け、私は急ぎ、次のような方策を立てた。
(1) まず職員が積極的に「手本」を示す。その際、子どもから挨拶が返ってこなくても、叱ったり、挨拶することを強要したりしない。同時に保護者、地域に呼びかけ、「挨拶することが当たり前」の風潮を大人側から高めていく。
(2) なぜ、挨拶することが大事なのか、コミュニケーションの第一歩なのか、子どもが納得するよう、丁寧に説明する。「ダメなモノはダメ」的な理屈付けは、指導する側にとって好都合なだけ。される側が腹に落ちることは、まずない。
(3) 集会での校長講話、学校便り、保護者の集まり等では、必ず「挨拶の現状」について触れる。その際、使う言葉は肯定的なモノを中心にする。また、登校班リーダーの子どもを集め、「相手に好感をもたれる挨拶の仕方」を学ぶ場を設定する。下学年児童も、彼らの姿から学ぶであろう。
(4) 「期間を定めた挨拶運動」はやめる。挨拶に特別感を抱かせ、日常性や常態化を阻害する要因となるため。
校内で、目の前の子どもの行動様式を即時的に変えさせるのは、さほど難しくない。しかし、それがその子の生きる力として身に付いたものとするには、押し付けや強制では長続きしない。これは、生徒指導全般に言えることでもあろう。特に、学校風土を変えるには旗振り役(校長等)の根気強さが求められると、私は強く感じている。
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